スポーツが得意だった小学生時代、とにかく外で運動することが好きだった。
休み時間も放課後も校庭に出て遊んでいた小学生時代。
低学年(1年生~3年生)
低学年の時はインドア派だった南北少年。
ゲーム好きな南北少年
小学生の入学式の写真を見てみると南北少年は前列左から三番目に座っている。
坊主頭で赤いトレーナーを来ている。
なかなか可愛らしい。(笑)
小学1年生なので大体みんな可愛いもんですよね。
正直にいうと小学校低学年の時の記憶というのはあんまりないのです。
クラスメイトの名前や担任の先生などはなんとなく覚えてはいますが、どんな行動をしていたのか?
と聞かれるとあまり覚えてない。
そんな中、印象に残っているのが、毎週日曜日は(当時は土曜日は休みでは無かった)ゲーム機を持っている友達の家で朝から晩までゲーム三昧な休みを過ごしていた記憶がある。
大体ひとりっ子の友達がゲーム機やソフトを沢山の持っているということが多かった。
そんな友達が2〜3人いたので、毎週誰かの家に行っては朝からゲームをしてお昼ご飯をご馳走になって、またゲームをして家に帰る。
というような休みの過ごし方をしていた。
日曜日のタイムスケジュール
とある日曜日のタイムスケジュールはこんな感じだった。
- 10:00 友達の家に到着し、ゲーム開始。
- 12:30 友達の親御さんに車に乗せてもらい、ステーキのどんでランチ(奢ってもらえる)
- 14:30 友人の家に戻りゲーム再開。
- 18:00 友人のお母さんの手料理でディナー
- 19:00 自分の親に迎えに来てもらって帰宅。
という日曜日を過ごしていた。
まさに至れり尽くせりな感じで、今考えるととても贅沢してたなと思う小学生低学年時代。
そんな感じで小学生3年生くらいまではインドア派のゲーム好きな南北少年でした。
しかし、高学年になると一転してスポーツ少年になるのです。
高学年(4年生~6年生)
なぜ急にスポーツ少年になったのか?
一体何が南北少年を動かしたのか?
新しい友人との出会い
僕の小学校ではクラス替えというのが、3年生になる時と5年生になる時の2回だけという小学校だった。
つまりは、1〜2年生、3〜4年生、5〜6年生で同じクラスメイトと2年間づつ過ごす事になる。
3年生のクラス替えで一緒のクラスになったH君。
この子がスポーツ万能で、女子にも人気があった。
いわゆるイケてるグループの代表みたいな男の子だった。
そんなH君とは3年生でクラスが一緒になっていたが、インドア派のナカイ少年はあまり接点が無かった。
4年生になり、体育の授業でドッヂボールの授業があった。
当然H君は大活躍、狙った獲物は逃さない、抜群のコントロールでチームを勝利に導いている。
女子の目はみんなハートになっている。
そんなH君をみて単純に羨ましいと思って話しかけてみた。するとH君の運動神経が良い理由がわかった。
それは少年野球をしていてしかもピッチャーだと聞いた。だから運動神経はいいし、コントロールも良いのかとナカイ少年は子供心にも納得していた。
そんなH君のようになりたい。と思い少年野球というものに入る事を決断。
なぜならモテたいから。
小学生4年生にもなると、少し女子を意識し始める年頃。
好きな子ができたり、女の子と喋りたいなと思うことが多くなってくる年頃ですよね?
そんなH君との会話をしてから、数週間後には地元の少年野球チームに入り、土曜日の午後と毎週日曜日は少年野球に費やす小学生高学年が始まりました。
少年野球を始めて変わり始めたナカイ少年
小学生1〜3年まではインドア派でこれと言って運動などしていなかった南北少年。
急に毎週のように運動する事になり果たして大丈夫なのか?
結果からいうと全然大丈夫だった。
というのも少年野球チームが基本的に同じ小学校ばかりで、知っている人が多かったのだ。
何人かは他の小学校からも参加していたが、2〜3人だけだった。
ただ一つ新しいことがあるとすると、他の学年の子もいたということだ。
それまでは同級生としか話したことがないのに、急に年上や年下の子と話さなければならない。
当然、初めましてだ。特に怖い先輩がいたという訳でもないので、そこまで気にもならなかった。
4年生で始めた少年野球も楽しくて、あっという間に5年生になった。
一つ上の学年の6年生が3人しかいなく、野球を始めたばかりの僕なんかでもレギュラーになってしまった。
野球は9人でやるスポーツなので、必然的に5年生以下の中から6人を選ばなければならなかった。
運よくナカイ少年はレギュラーとして試合に出場することができた。
というのも僕の誕生日は4月2日という学年で一番早い誕生日だったので、他の子よりも成長が早く小学生低学年の時は前から数えた方が早かったのに、5年生になる頃には背の大きいグループに入っていた。
そのせいもあって、野球を初めて1年くらいで試合に出ることができた。
しかし、世の中そんなに甘くなく、そんな素人が出ているようなチームは中々勝てないもんだ。
エラーはするし、暴投はするし、バットにボールが当たらない。
そんなあまり役に立たないプレイヤーだった。
野球を始めた動機はそもそも「女子にモテたい!」だった。
それなのにエラーはするし、暴投するし、三振では女子にモテないと思い、すごく真面目に練習をするようになっていった。
そして6年生になった。
チームメイトは全員同級生の6年生だけ。
そして、自分たちが一番上の学年だというのびのびした環境。
それが僕には合っていた。同じ町内には僕のチームを含めて4つの少年野球チームがあった。
少年野球のキャプテン・エース
5年生の頃はどのチームと試合をしても、勝ったり負けたりと実力にそんなに違いがなかった。
しかし、6年生になる頃には、同じ町内のチームに負ける事はないくらいの強さになっていた。
もちろん僕だけの力ではない。5年生の頃からずっと試合に出てるから単純に経験が他のチームより多かった。
というのもあるし、チーム内の仲も良かった。そしてキャプテンも良かった。
俺に付いて来い!というタイプのキャプテンでは無かったが、野球はうまいし、ムードメーカーだった。チーム内でも揉め事も起こらなかった。
そして、エースはモテモテのH君。抜群のコントロールで三振の山を築くスーパーエース。
バッティングでも四番を打つ、漫画の主人公のようなH君。顔もイケメン。
僕はというと6年生が始まる頃にはキャッチャーになっていた。
先ほども書いたように、体は大きい方だったので、単純にキャッチャーに選ばれたのだと思っている。実際はどうなのかはわからない。
そんな優秀なキャプテンと漫画の主人公のようなH君のおかげで僕らのチームは県大会で準優勝という少し輝かしい成績を収めることができた。
今にして思うと、その頃から僕は人をサポートする役割に回った方が物事が上手くいくというのがあるのかもしれないと思った。
ところで女子にモテるようになったかというと、県大会2位という少し輝かしい成績のおかげで、小学校で表彰されることになり、少しモテるようになったナカイ少年でした。